2016年2月27日土曜日

日本の博士課程学生の待遇について


おはようございます、今日はちょっと真面目な記事を更新します。

過去に博士課程の学生の収入源についての記事を書いて、このブログ始まって以来の人気記事となっているんですが、今回はその続きというか、まぁそんな感じの記事です。


日本の科学技術の未来を担う博士課程の学生を取り巻く環境、特に待遇について。
ご存じのとおり、アメリカの博士課程の学生に対する待遇って恵まれてて、ラボのボスに直接給料を出してもらって、高給なインターンへの参加も比較的容易で。。(雇われてる分、やりたくない仕事を振られたりすることがあるみたいですけど)

それにひきかえ日本の博士学生は学振を取る以外に生きていく術はあんまりなくて(あるにはあるけど状態)、うまくいかないと奨学金で莫大な借金を背負ったりしなければいけないわけです。

3年間奨学金を借り続けると相当な額の借金を持ったまま社会に放たれるし、かといって日本では博士卒の学生が優遇されるような現状ではないし。アメリカなら博士学位を持っていることが大きなステータスで、特にIT系の企業では高給を取るための条件の一つで、社会に出るのが遅れて不利になるとかそういうことはないんです(そこまで詳しいわけではないですが、僕の周りの人たちはそんなイメージ)。

研究って必ずうまくいくものではなくて、思うような結果が出なくて半年や一年を無駄にしてしまうようなことはざらにあります。特に研究を始めてすぐの右も左もわからないような時期にはなおさらです。テーマ選び(もしくは与えられたテーマ)しだいで、通せる学会のレベルは大きく変わります。最初からうまくいけばいいです、そうしたら学振に通ったり、インターンに行くチャンスをつかんだりできるから。でもそうじゃない学生は、いかに優秀であっても、博士在学中に研究に専念できるだけの援助が保証されないわけです。そしたら修士を卒業して給料がたくさんもらえる企業に就職するのが一番手堅い道ですよね。最近学位を取り終わって振り返ってみると博士課程の学生の命運はけっこう初期に分かれるものだなって思ってます。

じゃあ学振を取れば天国かっていうと、なんというか、そこにも疑問が一つあります。
学振の研究員は直接雇用されてるわけではないので、研究奨励金は給与所得ではありながらも明確には給料という立ち位置ではないし、雇用ではないので社会保険もないし各種手当てやボーナスなんてないんです。一律20万円という金額は、まぁ問題ないんですが、例えば実家暮らしの学生と一人暮らしの学生では全然生きてくための難易度は違いますし、都市部か地方かでもだいぶ変わりますよね。
地方実家暮らしで20万円だったら毎月貯金もできるだろうしそれなりに自由なお金もあると思いますけど、僕みたいに東京で一人暮らしをしてたら本当にかつかつです。僕はインターンや未踏などもあったからなんとか生きていけたなって思ってます。

僕はまぁいいんですけど、僕よりも超優秀な人たちがいっぱいいるんです。そんな人たちも同じくかつかつに生きてるのを見るとなんか報われないなぁと感じてしまいます。まず学振を取れるか取れないかのふるい分けがあって、うまく残れたらみんなこの給料でっていうのもなんだかなって。優秀な人はもっともらえたり、生活コストに応じて手当てがあったりしたらいいのにっていうのが僕の思ったところです。まぁそんなことをしたら、制度が複雑になってしまうし、いろんな分野がある中で業績の扱い方とかを公平にするのはあまりにも困難なのもわかってるんですけど、どうにかならないもんですかね。

最初の学振のふるい分けに落ちた人の中にすごく優秀な人がいたとして、そういう人たちが博士に進みづらい現状は問題だなって思いながらも、学振のチャンスはその次の年もあるにも拘わらず1回落ちたからって博士に進まない人はその先のもっと厳しい生存競争には向かないだろうなとも思います。

すごくシンプルには「博士=優秀な人材、企業が欲しがる人材」という意識が浸透して、博士卒の学生が将来に対して抱いてる不安を和らげるべきだと思うんです。それが実現していないのは問題ですが。
博士課程に進んで社会に出るのが3年遅れても、それを取り返せるぐらいの待遇が待っていれば、優秀な修士卒が博士に進むことが増えるのかなと思います。
僕が観測してる限りの現状では、博士課程に進むのは、研究に対する熱い意思を持った人(待遇悪くても研究ができるならって思える人)、ちゃんと将来を考えてないけどまだ学生を続けたいって思ってる人くらいです。博士の待遇が良くなって、研究に真摯に取り組む学生が増えて、就職口も増えて、博士学生全体のベースアップが実現すれば、日本の科学技術の将来はもっと明るくなるんじゃないかな。
正直今の同年代の博士課程の学生たちで飲んだりしてると、明るい将来の話をする人は全然いないです。なんか報われないですよね。


じゃあ海外に出ていけばいいじゃないかって話もありますけど、実際海外に出ていく人は多いですよ。例えばアメリカのIT系は給料が桁違いだし、海外にいたほうが幸せな人生を過ごせる人たちはけっこういるんじゃないですかね。
僕はなんだかんだ言って日本が好きで、給料の高さとかを考えても日本でそれなりに給料をもらえる職に就く方が魅力的に感じてるので日本にいますが、これは人それぞれであって、日本と海外の待遇の格差が広がれば広がるほど人材は海外に流出していきます。(海外で通用しない日本人が多いという説もあります笑)
某大学の教授が、日本はもう沈みゆく国であってそんな中での唯一の希望が大学院生などの若い研究者たちだって仰ってました。若い研究者が職を見つけずらいのは、少子化が進みながらも教員や研究職のポストは全然空かないからって理由もはっきりしてますよね。
若い研究者がもっと夢を見れるように待遇が改善されていってくれればなって思います。日本という国は科学技術を捨てちゃいけないんですよ。少子高齢社会で社会保障とか年金制度なんかもどんどん苦しくなっていくだろうけど、研究費を削らないで、特に若い人たちを何とか後押ししてほしいです。

僕はなんとか就職先を見つけられたので、自分のことを助けてほしいからこういう記事を書いたわけでもなくて、こういう現状が続いてたら未来は暗いなと危惧しているから、次の世代のためにも今日は真面目に書きました。あんまり考えがまとまっていないところもあるのでちょっと読みづらい所もあったと思います。すみません。


以上です。おやすみなさい。


2016年2月26日金曜日

最後の夏休み


こんにちは、ヒラクリ(PD)です。

日に日に日差しが暖かくなり、優しい陽光が風の冷たさを少しずつ和らげながら緑が香りはじめ、春の訪れを感じますね。

太陽とか青い空とかが大好きな僕はついつい日向でゴローンとしてしまいます。
博士論文を提出していこう、だいぶやる気が削られてしまっていますが、これは人生最後の夏休みなんだと思いながら、あんまり無理せず過ごしてます。4月からはまた忙しくなるので、ミュージシャンでいう充電期間、小学校でいう業間休み、熊でいう冬眠期間くらいにとらえています。

だからと言ってね、一週間に5回も温泉に行くなんてどうかしてますよ。
先週新潟の雪まつりに行くことがあって、そこで二日連続で温泉に行ってきて帰ってきたすぐ次の日に箱根で研究室合宿があり、また二日連続で温泉に入ったと思ったら、次の日実家に帰ったら友達に誘われスーパー銭湯に行くという、超温泉週間を過ごしてました。
越後湯沢とか箱根とか、温泉地に散々行ったあと、最後に行ったのが千葉のスーパー銭湯の温泉だったんですが、結論から言うと、スーパー銭湯の温泉が一番良かったです。だっていろんなお風呂があるし、広いし、休憩場とか充実してるし。わざわざ温泉地に行く価値って、わざわざ温泉地に行くってことにしかないんじゃないかと思えてきました。


まぁ最近はそんなに締め切りにも追われてないので、研究も好きにやるとして、ブログの更新もちょっと頻繁にしていこうかとも思っています。

・博士課程学生の収入原(第二弾)
・博士課程学生の就活
・博士学位取得への道
・中途半端な時期に博士審査をやるときに注意すべきこと
・最近のバンド系の音楽について
・Windows 10にアップグレードしてちょっと困ったこと

などのコンテンツを用意しているので、暇を見つけて更新していこうかなと思ってます。

ではまた近いうちに!( ゚Д゚)


2016年2月18日木曜日

忍び寄る新生活


こんばんは、ひらくりです。

2016年も気づけば随分なじんできましたね。
これはもう、あの頃の未来ですよ。

そんな昨今ですが、僕はというと、PhDを取得したあおりで、学振PDにランクアップしました。
僕の次の代くらいからはDCからPDに昇進しても給料は変わらないっていう世知辛い制度になってるんですが、僕の代はギリギリでその恩恵を受けられているのです。
こないだ振り込まれた額がPDのそれになっていて、知ってたとはいえテンション上がりましたね。

そんな立場に身を置いてみると、よく今までDCの給料でやってこれたなとか思っちゃうわけですよ。人間の適応能力というのはすごいもので、給料が二倍近くになった瞬間、その状況が当たり前みたいになっちゃうんですね。
いや、それにしても東京で一人暮らしでDCはやっぱり厳しいですよ。よく言われることですが、地方実家暮らしの学振採用者と比べると天と地ですからね。
まぁそんな困難(?)があったからこそなんとか這い上がらねばって気持ちも持てたんだと思います。僕が恵まれていた方だっていう気持ちもありますけど、博士課程の人たちはもっと厚待遇でやっていかないとあまりにも報われないんじゃないかと思います。だって博士課程の学生って研究者としてはまだ一人前じゃなくて、下積み時代みたいなもので、その後だってすぐに安定した職に就けるとは限らない博打みたいなものだから。

そういうわけで束の間のPD生活を過ごしているわけですが、4月からはまた新しい生活が始まるんじゃないかと感じ始めてます。
そして僕は世田谷区に引っ越してきました。今まで10年近く住んできた有楽町・副都心線沿いを離れて、世田谷区です。
世田谷といえば、フィッシュマンズのアルバムとかフラカンのアルバムの名前にも出てきたり、なんとなく憧れを持ってたんですけど、高級住宅街みたいなイメージもあって、あんまり縁がなかった土地でした。それがどういう因果か、気づけば世田谷区民ですよ。

引っ越してから一週間たったんですけど、、とにかく引っ越しって面倒!
まず、部屋探すために余裕で三日くらいかかるし(納得いく部屋を探すなら)、引っ越しの荷造りと荷ほどき、諸々の住所変更手続き、ネットとか公共料金の契約とか。
部屋が広くなったんで、家具も新たに揃えてて、一個一個オーダーしたりしてそれも時間かかってます。
振り返ってみたら10日分くらい引っ越しに時間を取られたんじゃないかと思います。

僕はいろいろとこだわりがあるので、自分で全部納得がいくようにやってたから特に時間がかかりました。
幸い締め切りもない時期だったし博論も終わってたしで、あんまりバタバタせずに済みました。
まぁまだカーテンとカーペットは届いてないし、他にもいくつか揃えたいものがあって、全然終わってはいないんですけどね。

引っ越し準備に十分時間が取れたので、今までお世話になったお店とか、好きだった場所とかを一件一件巡る時間があったんです。
引っ越すんですよー、とか言いながらよく食べてたものを最後にオーダーしながら。
そのちょっとした思い出巡りがけっこう切なかったです。こんな風に歳を取っていくんだなって思いながら最後の一時を過ごしてました。

10年近く有楽町・副都心線沿線に住んでたので、毎日池袋を通ってたんですよ。最初はあんまり好きじゃなかったし、そんな過ごしやすい場所ではないんですけどね、何かと便利だし、最後の家からは歩いて行けたからしょっちゅう行ってて。
そんな池袋もなんだかんだ嫌いじゃなかったなって気づきました。
今は渋谷が近くなったんですけど、渋谷のごみごみした感じが日常の中に入ってくると、池袋の方が良かったなって思うこともしばしばあります。

そういうわけで、まだ始まってはいないけど、新生活の足音が少しずつ近づいてきた私の近況でした。